【鎌倉観光散策ミステリーその1】源頼朝を殺害したのは、政子??

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源頼朝をご存知ですよね?
鎌倉に幕府を開いた将軍ですね。(1192)イイクニツクロウ鎌倉幕府なんて
語呂を覚えたのも懐かしい記憶にあるのではないでしょうか。

そんな頼朝の墓を訪れたことはありますでしょうか?

今回の鎌倉観光散策謎解きミステリーは、
頼朝の墓と死についてご紹介します。

ぜひ、これを読んでから頼朝の墓を訪れてみてくださいね。

目次
1.頼朝の墓の場所
2.頼朝の死因について
3.死因その1.落馬説
4.死因その2.怨霊説
5.死因その3.政子殺害説
6.死因その4.変装説
7.まとめ

1.頼朝の墓の場所

まずは、頼朝の墓がどこにあるか確認しましょう。

鎌倉観光

鎌倉八幡宮より東の清泉小学校方面に進むと、頼朝の墓があります。

鎌倉八幡宮より東にある横浜国立大附属鎌倉小学校方面に進むと、頼朝の墓があります。

鎌倉観光

入口にはこのような看板があります。

鎌倉観光

階段をエッコラあがっていきます。


そうすると、さみしげに頼朝の墓があります。ほんとにさみしいですね。
これが、鎌倉幕府を開いた将軍の墓とは思えないです。

2.頼朝の死因について

頼朝の死因については、謎に包まれており、歴史書物にも記述は見当たりません。
鎌倉幕府を開いた将軍なわけですから、しっかりと記録が残っていてもおかしくはないのですが、死因が不明というのは、それこそミステリーですね!!

では、こう考えられませんか?
公表できない理由があった?

3.死因その1.落馬説

頼朝は、1198年12月27日、妻である政子の妹を供養するということで、相模川の橋供養に参列しました。
その帰路の途中に落馬が原因で、1199年1月13日に急死しました。
1年後、1200年1月13日には、頼朝の1周忌が法華堂で行われた記事があります。

しかし、馬とともに戦場を潜り抜けてきた人が、落馬で死ぬなんてどうなのでしょうか?
酔っぱらっていたのでしょうか?

4.死因その2.怨霊説

相模川の橋と言えば、今でいう、馬入川とよばれているところに位置します。
一説によると、義経らの怨霊が頼朝の馬を引きずり込み、落馬させたという由来しているそうです。

またその帰路の途中の稲村ケ崎では、安徳天皇が海から浮かび上がり、じっと睨んでいたそうです。

そして、帰宅後、発病して他界したとも言われています。

将軍クラスになると、いろいろな恨みをかっているわけですね。
ですが、怨霊で死ぬなんでちょっとミステリーですよね。信じられませんね。

5.死因その3.政子殺害説

私としては、これがユニークで、筋が通りますね。
なんせ、奥さんに殺害されたなんて、公にできませんからね。

武士の中でハンサムは、畠山重忠だ」といった政子に、頼朝は、浮気心があるぞ!っと思ったそうです。

そして、頼朝はどうしたと思います?

なんと、畠山重忠に変装して、政子の寝床にもぐりこんだそうです。

それに驚いた政子は、頼朝だとは思わず、刀で殺害してしまったというのです。

将軍が変装して、潜り込むなんてほんとですかね~。

また変装するほうもそうですが、それを切ってしまう政子もすごい!!

6.死因その4.暗殺説

ま、これは、偉い人ならいろいろな人に命を狙われるのは仕方ないわけです。
北条時政や曾我兄弟などが有名ですが、どれも確固たる証拠がありません。

7.まとめ

いずれにしても、どの説も決めてとなる証拠がありません。
これぞまさに、ミステリーですね。

ぜひ、これを読んで、頼朝の墓を訪れてみてください。
真実を知っているのは、その墓に眠る頼朝のみ!!

【鎌倉観光散策ミステリーその1】源頼朝を殺害したのは、政子??
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